馬の頭の走り書き

書いているケモノ小説(BL含む)のこと。あるいは、たまに読書日記とかプログラミングとか。

小説解析ツール nan

作りました。 nanといいます。 使える方は使ってやってください。

ノベルチェッカー 簡易版をいい加減に再現したものです。

なお、現在性能上の問題により1万字の小説で2秒くらい待たされ(Ubuntu 64bit)ます。 Windows 7(64bit)で、3万文字が一分以上かかるそうです。 すごく重いです

なんぞや

テキストファイルの文字数とか、地の文/台詞比とか、文章の決まりに則っているかを調べてくれるツールです。

つまり……

こんなテキストファイル (yodaka.txt)

 よだかは、実にみにくい鳥です。
 顔は、ところどころ、味噌(みそ)をつけたようにまだらで、くちばしは、ひらたくて、耳までさけています。
 足は、まるでよぼよぼで、一間(いっけん)とも歩けません。
 ほかの鳥は、もう、よだかの顔を見ただけでも、いやになってしまうという工合(ぐあい)でした。
 たとえば、ひばりも、あまり美しい鳥ではありませんが、よだかよりは、ずっと上だと思っていましたので、夕方など、よだかにあうと、さもさもいやそうに、しんねりと目をつぶりながら、首をそっ方(ぽ)へ向けるのでした。もっとちいさなおしゃべりの鳥などは、いつでもよだかのまっこうから悪口をしました。
「ヘン。又(また)出て来たね。まあ、あのざまをごらん。ほんとうに、鳥の仲間のつらよごしだよ。」
「ね、まあ、あのくちのおおきいことさ。きっと、かえるの親類か何かなんだよ。」
 こんな調子です。おお、よだかでないただのたかならば、こんな生(なま)はんかのちいさい鳥は、もう名前を聞いただけでも、ぶるぶるふるえて、顔色を変えて、からだをちぢめて、木の葉のかげにでもかくれたでしょう。ところが夜だかは、ほんとうは鷹(たか)の兄弟でも親類でもありませんでした。かえって、よだかは、あの美しいかわせみや、鳥の中の宝石のような蜂(はち)すずめの兄さんでした。蜂すずめは花の蜜(みつ)をたべ、かわせみはお魚を食べ、夜だかは羽虫をとってたべるのでした。それによだかには、するどい爪(つめ)もするどいくちばしもありませんでしたから、どんなに弱い鳥でも、よだかをこわがる筈(はず)はなかったのです。

を用意して$ nan yodaka.txtコマンドラインで叩くと

nan - novel analyzer 0.1

;; reulst
; info
papers: 1.85
chars: 673
lines: 9
n/w: 592/81
kj/h/k/o: 74/505/2/92

; warn
line-head-indent: 0
close-paren: 2
!?blank: 0
ellipsis: 0
dash: 0

……というふうに小説を解析して情報とか問題点とか出力してくれるツールです。

つかいかた

使い方です。 基本的な使い方は、コマンド名の後ろにファイル名を続けるだけです。

$ nan yodaka.txt

もし問題のあった箇所に何が書いてあったのかを見たい場合、d オプションを使い前後の文字を表示させることができます。

$ nan -d yodaka.txt

その他のオプションは、解析結果を別のプログラムで利用する場合とかに使えますが、小難しいのでマニュアル読んでね (2014-07-21現在未記載)。

結果の見方

セミコロン「;」で始まっていない行が解析結果です。

  • papers

400字詰め原稿用紙 (20x20) 換算の原稿用紙枚数です。 行の途中で改行が入ってもちゃんと適当に計算します。

  • chars

総文字数です。

  • lines

総行数です。 (なんだか1行数字が多いような……)

  • n/w

地の文/台詞の文字数です。 地の文が n で、台詞が w です。
d オプションで地の文/台詞の割合をパーセントで追加表示します。 割合は n/w\%: と表示されます。

  • kj/h/k/o

文中の各文字種 (漢字/ひらがな/カタカナ/その他文字) の文字数です。 漢字が kj、ひらがなが h、カタカナが k、その他文字が o です。
d オプションで文字種の割合をパーセントで追加表示します。 割合は kj/h/k/o\%: と表示されます。

  • line-head-indent

文中で冒頭字下げがされていない (行頭に全角スペースがない) 箇所の個数です。
d オプションで問題のあった箇所の前後 15 文字を追加表示します。

  • close-paren

閉じ括弧の後ろに句読点が置かれている箇所の個数です。 サンプルの文章の台詞のような書き方をすると引っかかります。
(僕が宮澤賢治方式が嫌いなわけではありません)
d オプションで問題のあった箇所の前後 15 文字を追加表示します。

  • !?blank

感嘆符「!」や疑問符「?」の直後に全角スペースがついていない箇所の個数です。
d オプションで問題のあった箇所の前後 15 文字を追加表示します。

  • ellipsis

三点リーダ「…」が二連続で使われていない箇所の個数です。
d オプションで問題のあった箇所の前後 15 文字を追加表示します。

  • dash

ダッシュ「―」が二連続で使われていない箇所の個数です。
d オプションで問題のあった箇所の前後 15 文字を追加表示します。

インストール

例によってWindows向けのバイナリを用意しましたので、展開するだけ。 ダウンロードページnan_win32.zipからどうぞ。

ジョン・ボイド『エデンの授粉者』

 著者はもともとSF書きではなかったらしい、とそう聞くとなんだか納得してしまった。

 あらすじはこんな感じ。


 惑星フローラには地球の植物と似た、しかし大層進化した植物が生息している。地球のランやチューリップ、その他もろもろの植物に似た植物が生えており、「花の惑星」などと呼ばれている。

 植物学者フリーダの婚約者であり同じく植物学者のポールは調査隊の一員としてフローラに赴いていて、現地植物の調査に当たっている。調査隊と共に期間するポールを待つフリーダだが、戻ってきた隊の中にポールはいなかった。ポールの代わりに戻ってきたのは手紙と、調査隊員の一人で学生のハルがポールよりフリーダにと預かってきたフローラのチューリップだった。

 それは、雌雄を持った植物で、空気袋で音を鳴らすことができ、そしてなんと音を用いて相互にコミュニケーションしているらしいことがわかったのだ。

 このあとめちゃくちゃ研究した。セックスもした。


 この話の前方九割くらいは、残り一割のためのながあい布石である。

 そう言い切って問題ないと感じるほど、ラストが怒涛の面白さで、ラスト以外が退屈だった。ラストでやっとフローラへ赴くからだ。それまではぶっちゃけプロローグだ。

 異星の花がコミュニケートするとか人間を魅了するとか人間に牙を剥くとか、まあよくある話であるプロローグ。なんだか文学的なんだが小洒落てるんだかわからない会話とともに政治的なうんぬんとか心理的なうんぬんとかがかんぬんされるところにはなんとも辟易していて、読むのやめようかとも何度か思った。主人公の堅いんだか緩いんだかわからない貞操観念というか浮気性のせいもある。自分勝手に過ぎて、でも上司をやっつけたときは少しスカッとした。

 そしてフローラに降り立ち、婚約者と再開し、植物の謎を解き明かしてめでたしめでたしならぼくは感想すら書かなかったと思う。

 実際は、お堅いポールをして地球を捨てさせ、フリーダを完全に取り込んでしまったフローラのランたちが出てからは最高だった。オスのランとフリーダのセックスとか、たぶん旦那はメスのランとやってただろうけど(出てこなかったけど)、エとてもロい。

 さらに調査隊員たちに見つかり地球に連れ戻され精神病院にいれられても、あの手この手で結局フローラに舞い戻るとは!

 そしてなにより、オスのランとのアレによりできた子供が、文字通りの種! しかも遺伝子の交換だかなんだかで、ポールの特徴も受け継いでいる種!!

 その発想はありませんでした。

 SFとしては、そもそもなぜ地球のとほぼ同じ植物がいて、遺伝子の交換なんて(できるのも驚きだけど)できるくらい似通ってるのか、とかいろいろツッコミどころはあったので、ソフトなものとして読めばよさそう。

 文章は、詩的な言い回しというか気障な言い回しというか、鼻につく言い回しが多くて読みづらかったかな。ぼくの文章もそんな感じなんだろうか。気を(たぶん)つけよう(と一旦は思ってみただけ)。

R.A.ラファティ『翼の贈りもの』

 読んだのは一週間くらい前だけど、ひさびさに骨のある本だった。

 SFということでクラークやイーガンのようなハードSFをイメージして臨んだところ、出鼻を挫かれてしまった。そんなためか、表題作に惹かれて買った本ではあるものの、表題作はそんなにピンとこなかった。おそらく挫かれ補正がかかっているので、もう一度読むとまた変わるかもしれない。
→評価は変わらなかった。

 サイエンスというよりもファンタジーな、というよりもファンシーな(?)趣のある短編集である。どこか見たことのある雰囲気だなと思っていたら、解説では村上春樹との類似を論じていた。
 そうそれ。村上春樹だ。確かに似てる。  雰囲気は、ウェルズとかヴェルヌとか黎明期あるいはそれ以前のSFにも似ている。似ているけど、何かが違う。ところどころで著者の「書くこと」に対する意識が垣間見え、きっとそこが他のSFとの差として理解されるんじゃないかと思った。

 個人的には『ケイシィ・マシン』『深色ガラスの物語 ――非公式ステンドグラス窓の歴史』がすごく好きだった。ちょっと抽象的で何を言ってるのかわからない感じといい、いわゆる「小説」としての流れ(起承転結、とか)はないのに面白いと感じられる話であるところ――つまるところ構造がそう思わせるのではないかと睨んでる――といい、著者への興味は深まった。
 某T.E.氏に似た雰囲気も端々に感じられてよかった。


 乱暴で短くはあるが、これで感想としたい。
 あと酔っ払ってるせいか眠い。

小説ページ生成ツール、つくりました

タイトルのとおり、つくりました。
ngnといいます。使える方は使ってやってください。くわしい使い方はここに書いておきました。
上記doc.pdfにも書きましたが導入方法が各プラットフォームで異なるのでちょろっと書いておきます。

概要&使い方

こんなテキストファイル (sample_text.txt)

:title タグ付けした文章 ~そのタイトル~
:author うんこスバル
:chapter ngnのつかいかた

この文章は無視されます。
:title タイトル同じタグが複数存在したら先頭にあるものが優先されます
:body[
 この文章はサンプルです。
 この形式のタグは複数行イケます。
:body]

とこんなテンプレートファイル (temp.html)

<html lang="ja"><head><title>#|title|#</title></head><body>
<h1>#|title|#</h1>
著者:#|author|# 章:#|chapter|# #|spam|#<br>
#|body|#
</body></html>

を用意して$ ngn sample_text.txt temp.htmlとコマンドラインで叩くと

<html lang="ja"><head><title>タグ付けした文章 ~そのタイトル~</title></head><body>
<h1>タグ付けした文章 ~そのタイトル~</h1>
著者:うんこスバル 章:ngnのつかいかた <br>
 この文章はサンプルです。<br>
 この形式のタグは複数行イケます。<br>
</body></html>

ってな内容のファイル sample_text.html を出力してくれるツールです。

導入

各プラットフォームごとの導入方法です。

Windows使い

Windows用32bit版バイナリつくりました(ngn (v0.7.1))。
展開したあとパス通ったところに置くだけ!
簡単!

*nix/OSX使い

バイナリは自分でつくるのオナシャス。面倒ならWin版をwineで動かしてください。

*nix/OSXいずれも、quicklispのインストールとguess導入が鬼門かも。一応ドキュメントに追記しときましたけど。だいたい次のような流れでバイナリつくったあと、パス通ったところに置くだけ。

バイナリのつくりかた(概要)

  1. (たぶん)Clozure CLがストアにあるのでインストール
  2. quicklispをインストール
  3. shelly, guessをインストール
  4. ターミナルでshly save-app

そういえば……

昔、ずっと昔にブログにこう書いてるんですよねー。『イヌジーエヌ』

"たぶん夏までには完成させるよ!"

ですってー。いま何年何時何分何十何秒地球がそれから何回回ったんだろうナー。

"公開とか考えてないよ! だってコマンドラインだもん!"

ですってー。あれれー。公開しちゃったよー。そもそもソースが丸見えだよー。ハドゥカティー。

当時はC++で書いてましたが、いまはCommon Lispで書いてます。インタプリタで書きながら即実行できるので、書きやすさ断然ちがいますCommon Lispのほうが断然イイ。


よいお年を

なんとびっくりケツァール!(キヌバネドリ科)

『ドクター・ラット』(ウィリアム・コッツウィンクル著)を読んだ。

世界中で発生する、謎の衝動に駆り立てられる動物たちの顛末。あるいはある研究室でその秩序を取り戻そうとする一匹の気狂いラットの奮闘記。


最初の数ページを読んだあたりでこんなことをつぶやいているけど、だいたいはこの雰囲気であってる。動物実験の痛ましさと食用家畜の最期などが描かれるため、ご飯前後は読まないほうがいいかもしれない。

世界中の動物たちが一斉に、本能が何かをさせようとするのを感じ始める中で、ドクター・ラットだけはそれを感じない。ドクター・ラットはいろんな実験に晒されて気が狂い、彼の知る人間達(研究室の教授、学生)のように考え振る舞っているからだ。だから、本能に突き動かされて飼い主の元を離れたイヌが研究室に捕らわれてきて、「直感による放送」により研究室の秩序を乱すことを快く思わない。その影響を受けた実験動物たちが「直感放送」を用いて外の動物たちの情報を仕入れ、“偉大な研究”に反目する思想に染まることを快く思わない。

曰く、我々は人間の好奇心を満たすために存在するのだ。
曰く。
──死は解放なり。

なんて言ってるドクター・ラットが実験動物達の反逆を止めるためにがんばる。

彼は人間をだいぶ勘違いしており、論文は不明瞭に書かねばならぬと考えている。また、意見等は三枚綴りの複写紙に書き、広報課を通さねばならぬと考えている。なかなかグロテスクなシーンが続く中にあって、ドクター・ラットはそれらをコミカルに緩衝してくれる。それでもグロいけど。


研究室の反逆者たちは実験の被害者である。だからドクター・ラットのパートは動物愛護なお話だ、とは単純に言えないような気がする。

なぜなら、反逆者たちのやり口がまあなんともダメなもの。おクスリで手なずけたり上層部がヤりたい放題だったり言論統制だったりといろいろやっている。人間の支配下にあったが故なのか、中途半端に人間ふうなのである。

ドクター・ラットだってそもそもは被害者だし、彼自身が実験をしたわけじゃない。ヘンなことを言っているだけで、何もしてない。
だから、ラストでドクター・ラットだけが取り残されてしまうのは、ちょっと寂しい気がする。

つらい。

ブログをお引越ししました

はてなブログへお引越した。ついでにブログの名前も変えた。というか換えた。助詞をいっこ。

旧:馬の頭走り書き

現:馬の頭走り書き

長年使っていた忍者ブログを退会することに決めたのには、二つ理由がある。

  • twitterばかり使いブログにものを書くことが少なくなっていたこと
  • 記事編集時、リンクやらなんやらをマウスで指定するのが面倒だったこと

なんやかんや考えて結局、ブログそのものは存続するけど別のブログサービスに移ったほうがよろしかろうなあと決断したのであるある。

ブログ書かなくね問題

前者によって、そもそもブログそのものを仕分けようかと考えていた。twitterは文字数制限からやってくる気楽さからか、考えもせずぽんぽんと文字通りつぶやける。「お話書いたよー」であるとか「こんなおもしろいものがあったー」であるとかいったような、もともとブログに書いていた類のことはだいたいつぶやけば終いである。そんなわけで「ブログいらなくね」と近ごろ考えてはいた。

そうは言っても、長文を書きたいタイミングが──たとえば本の感想を書きたいことがあるかもしれない。最近はtwitterで簡単に済ませちゃっているものの、本来の感想は長い。面倒だから考えを無理やり簡単にして、細かい感想を抜け落ちさせているんである。考えを文章にまとめるのを諦めているとも言うことができる。

それはイカンであろう。

結局はそう結論して、ブログは存続させることにした。

編集のしやすさ問題

そうすると、使いつづけるか否かを考える必要がでてくる。ブログでは書くことを目的にしているので、編集のしやすさが重要なポイントになる。

たしか、忍者ブログではHTMLを直接いじるモードとWYSIWYGモードと二種類があった。果たして文章を書くとき、HTMLを直接いじりたいかと言われると、いじりたくないと答える。たとえHTMLの編集知識があったって。

一方でWYSIWYGのほう。これは、裏でどんなHTMLが生成されてるかわからなくてキモいと思うことが多々あった。テキストエディタ感覚で一行の空行を挟んでも、p要素にされてしまって空行が開かず、結局HTMLモードで改行タグを入力するハメになるとか。あと、そもそもリンクとか貼りたい場合に、せっかくキーボードをカタカタやっているのに手をマウスにわざわざ持っていって、リンク設定ボタンをクリックしてやらなければならない。しかもわざわざ

いやじゃん。

ノリノリでカタカタやってるのにマウスに手を文字通り取られるのって。

なので、簡単にマークアップできる、すなわちキーボードから手を離す必要のない記事入力方法を持っているところがいいなあと思った。たとえば、githubのREADMEなんかでおなじみのMarkdownとか。

で探すとはてなが見つかりました。ちゃんちゃん。

退会するときしんみりした

思えばサイトをつくって、ブログはあったほうがよろしかろうとサービス選びをしたものだなあ。たしかアクセス解析も一緒にと思って忍者にしたんだっけ。

以来ずっと、忍者ブログを使ってた。ブログの名前もその当時に考えて、それ以来ずっと使ってた。デザインいじったり、なんやかんやしたなーと思い返すと、なんだか古巣を旅立つような気持ちになった。

めっ。

目にゴミが入っただけだーい。

nanかでてきた

多分、ブログに書こうとしていたのではないかとおぼしき文章が出てきた。読んだ本の感想である。

多分、「6月」とか「7月」とか「8月」とかっていうのは2011年の6月、7月、8月をさしているんだと思う。

多分、下に行くほど古いんだと思う。

多分、上に追記していったんだと思う。

ファイル自体はもう消したいので、載せとく。

二重山括弧(《》)で言い訳書いとく。

続きを読む

近況報告

おひさしぶりです。

サイトもバージョン5となってました。
今はずっと前にブログに書いていた小説ページ生成ツールができているため、更新は楽です。
文章もとろとろと書いております。
シロキバはあまり準備が進んでいないため、書き出しがいつになるか未定です。
本もつくりたいですが、こちらもまだなにも進まず。
わけあって、いまは家にいる生活をやってます。
いろいろ進めたいなー。

いろんなことがあったけど、ぼくはわりと元気です。

しんねん

新年があけていましておめでたいことを言っていないので、おめでとうございます。
前年は書かない年でした。恒例です。

今年の目標はふたつあります。すなわち、
1.「シロキバはじめました」という
2.「本はじめました」という
3.「サイト名かわりました」という
みっつでした。

本は短編集をだしたいと思ってます。
どんな本にするかはきまっていて、あとはプロットをたてたり準備をするだけ。

さて、今年はどういう年になるのやら。
カッコが多い年になればいいなあ。

これはペンですか?

発売日当日(9月30日)に買って、読んだのは10月5日らへんだったと思う。
以下、読んだあとに書いた文章。
=========================
円城塔『これはペンです』
読んだよ!
冒頭の一文は、絶対歴史にのこる。のこれ。

 円城節がいつもどおり炸裂している。余談も余談の小ネタ雨あられ。でもストーリーにちゃんと絡んでくる。そして『Self-Reference ENGINE』『Boy's Surface』と比べると話がわかりやすくなっているように思う。『これペン』にかかるまえに『オブ・ザ・ベースボール』を読んでいて、最近の傾向なのか、それとも狙ったものなのかは判別しがたいけれど、『Gernsback Intersection(『Boy's Surface』所収)』みたいに筋が吹っ飛んでいることはない。似ているといえば『Boy's Surface(『Boy's Surface』所収)』に似ているかも。二編とも時おり笑い、時おり関心し、個々はシュールで総体としていい話だった。

「叔父は文字である。よって書かなければ叔父は存在しない。だから叔父を書く」。姪はそんなような動機で叔父を書こうとしてた。これは要するに、小難しい領域に足をつっこんだ叔父さんっ子状態だったように思う。送られてくる手紙を解読するのは、叔父の一部である叔父が変わった方法で書きつけた遊び。磁石炒めにDNA手紙は、知恵の輪をはずそうとするのに似ているし、送られてきたものが炭疽菌のDNAプラスアルファだとわかったときは、叔父にそそのかされたいたずらを怒られたというような憤りをみせていた。「知らない男の子のために書いている」というのは、そんな姪が成長しているということなのかもしれない。叔父は姪が叔父(文字)が文字でないのかもと理解したときこそ、叔父ばなれをするときだと考えていたとか。ただ、円城さんだそんなシンプルではなかろう。シンプルなわけがない。シンプルではありえない。
 叔父は叔父で、毎度毎度変な制約のもとで文章を書いている。磁石に刻まれた文字を並べて書くなど。磁石に文字が刻まれているということは、すなわちつくりたい文章が反発されたりして制限をうけること。そんななかでもいいたいことは言える、あるいは、制約のなかで「思ったとおり」の文章はつくれないけど、制約によって思考が変わり、けっきょくその制限下での思考における思ったことが書けるということを実践していたのかな。『これはペンです』は叔父と姪の遊びの話であり、姪にとっては叔父を書くペンを、叔父にとっては(叔父の)父と記憶の街を書くペンをさがしている話なのだろうかと、これはぼくの解釈。
 「姪が炒めてしまったので磁力が弱まっています」とかところどころくすりと笑った。こういうまじめくさった小ネタも円城さんの魅力のひとつだ。むずかしげなることばで言い換えている部分とか。
 『これペン』は芥川賞候補になったそうな。某氏がDNAの記述になんか言ったり、某知事がなにか言ったらしいけど、これは受賞しなかったのがふしぎ。どうして。なんにせよ、連続で二度以上読むとさらなる発見が楽しめそうな、というか楽しめる話だった。これを書いたらもう一度読み返す予定であるよ。

 いっぽう『いい夜を持っている』のほうは『これはペンです』をうまく受けてたたんでしまった。ほんとうにうつくしくそっけなく語られてた。
 主人公は、超記憶をもつ父を理解しようと父を読んだ。父の記憶の街を読んで、父の思考をたどった。忘れることもなく、初頭の概念が実体をもって闊歩する記憶をもてあましていた父が、いかに時間という概念を知ったか。それでも混濁する街をいかにしてあつかうか。母1、母2、以下略、夢とその夢、ちがう夢とその夢の夢。街が階層をなし、父は街の物語にべつの街の物語をつけ、さらにべつの街の物語を……と繰り返すことで無限の階層を得ていた。父の睡眠とは夢であり覚醒の場であったけれども、一般的な意味での、真なる睡眠の存在を知ったとき父は記憶の檻から逃れる。そして主人公は父に似ていると姪にいわれ、姪を背負って記憶の街に帰っていく。
 ストーリーが、記憶の街が、すごく綺麗なんだよなあ。SREやBSFでは見られなかったあらたな一面だ。なのにどちらも裏に構造がある点はいつもどおり。円城さん、ますますファンになった。一生ついていきたい。