馬の頭の走り書き

書いているケモノ小説(BL含む)のこと。あるいは、たまに読書日記とかプログラミングとか。

nanかでてきた

多分、ブログに書こうとしていたのではないかとおぼしき文章が出てきた。読んだ本の感想である。

多分、「6月」とか「7月」とか「8月」とかっていうのは2011年の6月、7月、8月をさしているんだと思う。

多分、下に行くほど古いんだと思う。

多分、上に追記していったんだと思う。

ファイル自体はもう消したいので、載せとく。

二重山括弧(《》)で言い訳書いとく。

* * * * *

8月26日に読み終わった本。

『嘘の少年』

《感想とか書いてなかった。割合おもしろかったと記憶してる。》

東京がえりに読み終えた本。

『はじめての構造主義

《恩師のおすすめで読んだ。なるほどブルバキ。》

7月中旬に読み始めそして読み終わった本。新境地。

筒井康隆『旅のラゴス』

筒井康隆って、近代的な町並みがあったらその片隅にあるゴミ箱の中身を描写したり、美しい建物の地下にあるごちゃっとした物置を手短かつ的確に書く作家さんだと思ってた。『2001年暗黒世界のオデッセイ』なんて、まさにそういう印象だから。だから、あらすじに「突然高度な文明を失った代償として、人びとが超能力を獲得しだした『この世界』で、ひたすら旅を続ける男ラゴス」とあったのを読んだとき、荒廃し糞尿が道ばたにふれているような世界で乱痴気騒ぎしたり殴る蹴るしたり、集団転移で町を吹き飛ばすテロがあったり、という話なのだろうなあと予想してた。

読み始めると、文章は筒井康隆そのもので素っ気もなく、主人公の思考がぱらぱらさくさく書かれている。でも、どちらかというと主人公も、最初の短編ででてくる登場人物たちも(比較的)とても常識人なので驚かせられる。『心狸学・社怪学』なんて毛羽だっていて生々しい話ばかりだし、登場人物もどこかトんでいるところがあるというのに。いつもの筒井康隆じゃない、と読み進めると、とても和やかに締めくくられる最初の短編『集団転移』。先達の知がすべてつまった図書館で知識を広げるラゴスと、図書館を守る一族がしだいに俗化していく様を見られる『~王国』。北の故郷へ戻る旅路で、懐かしの集落へ立ち寄り思いを馳せたり、得た知識を故郷へ還元するため尽力したり、それでも北の妖精(だったかな)伝説に懐かしい何かを求めて旅にでるラゴス。

意外なことに(失礼!)ちゃんとした筋書きがあり、様々な出来事を経て認識を広げていくまともな主人公。始めに出会った集落の人たちとの再会があり、遠い思い出に惹かれておそらく最後の旅にも出る。はじめ持っていたイメージをことごとく破壊しつくしてくれ、その上で信念に基づき旅を続ける主人公の半生がかっこいい、ロマンチックな物語だった。本当にいい本だ。近いうちにまた読もう。

《ちゃんと感想書いてた。すごい。そしてこれ、実際にすごくおもしろかった。短編集の『笑うな』とか『心狸学・社怪学』とか読んだあとに読むことをおすすめする。多分僕の意見に一定以上の同意が得られると思う。》

6月末に読み終わった本二冊をまず書こう。『旅のラゴス』はそれから。

瀬名秀明『虹の点象儀』

思い返すとプラネタリウムに行ったことがあるのって小学生の頃に一度だけだったなあ。そんなことを思い出す小説だった。プラネタリウムと、なぜか織田作之助がテーマ。織田作之助のことはよく知らないけど、最後の言葉とされる『思いが残る』を組み込んだストーリーがとっても良かった。意識のタイムトラベルは誰かの体を借りなければいけないことと、

《ここで文章は途切れている。》

6月末に読んだ本2冊目。個人的にはイーガンと同じかそれ以上だと思った。

テッド・チャン『あなたの人生の物語』

読んでまず、あるいは読み終わってから、そうきたかと思わされることが多かった。『バベルの塔』では実際にバベルの塔建っちゃううえに青天井にたどり着いちゃうし、そこからは太陽に星にと見下ろせちゃうし。挙句の果てに青天井の向こうはアレだし。神秘性と合理性が両立してる締めということで、読後は非常にテンションが高かったのを覚えてる。

『七十二文字』はたぶん、計算機好きにはたまらないアイディアのもと話が展開される。ユダヤ教の秘術(だったかな、うろおぼーえ)であるゴーレムは名を書いた紙を仕込むことで生命を吹き込む、というのは実際に伝説としてある(よね?)。その名を書いた紙がゴーレムの性質すなわち動きを規定し、名を、それぞれ意味のある小さな言葉を組み合わせることでつくる、というのはどこからどうみてもプログラミングですほんとうにありがとうございラムダ。そのうえで、人類に近い将来訪れるであろう消滅の時を回避すべく、ゴーレムや名を書いた紙、生命の素をからめて落ち着くラストといったら! しかも、名をつくっては動かしこねくり回して、裏にある(プログラミング言語としての名の)規則を探っていくという、物理学っぽい現象に沿ったアプローチもまたステキ。だから、そもそも命令セットもすべて明らかになってないし、関数の機能もよく分かってないし、そもそも文法も分かっていない言語なので、本質的に、ゴーレムの性質を手続的に組み上げるものなのか、関数を単位としてつくっていくタイプなのかわからないんだなあ。そもそも、手続き型・関数型というくくりが野暮なのかもしれぬ。単語ひとつ加えただけで、離れた単語とも作用して全体の性質が変わる類のものだろうし。神の言語だ、すばらしい。

 ところで冒頭で主人公の友人が精液を火にかけてミニ生命をつくりだすところなんだけど、友人、きっと、オナニーして採取したんだよな。ショタミルクが原料なのか。そうか。

『理解』もすごかった。主に後半の、超人化するところからが。自分自身を自分自身として上から眺めることができるようになると、今まさに(計算機的にいうところの)実行している心を実行時に書き換えて、さらには心の外に監視者をつくりおいておくことができる、というアイデア。完全に支持しているわけではないけれど、心の計算機科学というやつとの関連を鼻で感じて非常にアツアツであった。数言の言葉に落とし込んでさえ、心の状態に左右されず込められた含意を読み取るというのも、心を上からながめられ起こるだろう乱れを理解しているからこそできるんだろう。ただ、感情とかいったものが外乱であるかのように取り除かれてしまったのはすこし残念でもあるかな。そこから生まれくる雑音が美しいかもしれないので。とにかく、とてもおもしろかった。

『ゼロで割る』はよく分からなかった。円城さんみたいに裏にしっかりした構造があって、その上に話がのってるとばかり思い込んで読んでいたけどそんなことはあまりなさそう。彼女の形式体系が数論とどうつながるのか、仮につながっていたとして、数論では1=2かつ1!=2は出てこないけど、形式体系ではそれができてしまったということは、数論やそれから派生した数学の考え方すべての推論規則がよろしくなかったということなのかしらん。そう考えるとたしかに、現実とは切り離された紙の上のゲームになっちゃうな。ぼくは紙の上こそ真に遊べる場だとほんのり考えているので、現実に作用させることはできなくなったとはいえ、遊び場として楽しめばいいと思う。現実に関係しないという現実からの逃避として。

『天国とは神の不在なり』を含めて、『バビロン』『理解』『七十二文字』が四大傑作だったとおもう。『神の不在なり』は理不尽がテーマの話だったのかな。単に神をどう愛するようになるかだけでも十分おもしろかったけど、ぼくのセンサにびびびときたのは理不尽さだった。好きな人は奪われ、神を愛する気はないけど妻と再会するにはせねばならず、とまるで人質。紆余曲折を経て神への愛を知り昇天しかけたところ地獄へ落とされる。地獄へ落とされてすら神を愛する主人公は、天国にいるも同然のように見え、この短篇のタイトルはそこに起因してるように思えてならないのであるある。

全体としてとてもおもしろいけど、分かりにくかったり、無理やりつないでるところをうまく隠せていないことがわかる部分もあった。でも計算機系イーガン話と同じくらいもだえることができたのですごくよしとする。ところで、伊藤計劃の『ハーモニー』がアメリカの2010年(だったかな)ベストSFに選ばれていたけど、そのノミネート作品のなかに"The Lifecycle of Software Objects"という本が入ってた。最近確認してわかったけど、これもテッド・チャン。計算機系のSF書きとしてずっと応援するとともに、ハヤカワさんはやく訳してください。もしくは原著か。

《『ゼロで割る』のディスりぐあいパない。本全体としては、今(2013年現在)だと、すごくよかったという印象しかないけども、これは時間のなせる技なのか。とりあえずショタミルク合点承知。》