馬の頭の走り書き

書いているケモノ小説(BL含む)のこと。あるいは、たまに読書日記とかプログラミングとか。

そんなに発狂してない宇宙

今回はこれ。
フレドリック・ブラウン『発狂した宇宙』

「SFの徹底したパロディ」という裏表紙のうたい文句に惹かれて購入した本だった。どう来るのかなあ、と思いながら読むと、月へ行くロケットがなぜか地球に落ちてきて、落下地点にいたSF雑誌編集者が別の宇宙に迷い込んでしまってしまった。数年前にワープ航法が発見された時点より以前は、もといた宇宙と同じ歴史をもつ別の宇宙。そこで主人公がなんか奮闘する。

書かれたのがアポロが月に行く前ということでかなり古いというか、この作品がパロディしようとした「SF」がわかりにくかった。どうも、当時のスペースオペラとSF文化をパロディしたものらしい。なんともぶっとんだ方法でワープ航法が実現するし、月がアレもってるし、星間戦争で活躍してる人間がテンプレート通りだし。そもそもその宇宙がぶっ飛んでる理由に、もしかしてと気づいてしまったとき、それはないよねたぶん、と思ってしまったほどだった。それはない、とメッキーに否定されたけど。謎が解決する最期の場面において、主人公がもとの宇宙に戻る方法(=変な宇宙に来た方法)も結局トンデモになっていて噴いた。

読後は、このひとが何をパロりたかったんだろうと真剣に考えてしまった。主人公の判断が功を奏したかと思えば些細なほころびからトラブルに発展してと話はおもしろかったけど、冒険小説の宇宙版のようなこのストーリーはなんだったのかしらんと。でも、フレドリック・ブラウンはそう思ってほしかったんじゃないかなあと、今書いてて思った。当時のSF作品にどんなものがあったかわからないけど、テンプレートな世界観を皮肉りたかったのかもしれない。それとも、スペオペ好きの少年に対するステレオタイプなイメージを皮肉りたかったのかも。なんにしても、そういう視点でもう一度読み直すとおもしろいかもしれない。

このフレドリック・ブラウンって、タイトルだけでほしいと思っている『宇宙をぼくの手の上に』を書いた人なんだよなあ。さらに、星新一がこの人の『火星人ゴーホーム』を推しているらしいし。別の作品も探してみようかな。