馬の頭の走り書き

書いているケモノ小説(BL含む)のこと。あるいは、たまに読書日記とかプログラミングとか。

MOS

たぶん今月3冊め。2冊目かな? どちらだかはわからない。
神林長平『言葉使い師』

よくよく考えたら、神林長平の作品を『敵は海賊』『戦闘妖精・雪風』以外で読むのははじめてなのであった。テーマも、文章も、星最大値。とてもすき。この短編集はお気に入りにまちがいなくくいこんだ。

◇『スフィンクス・マシン』
スフィンクス・マシン、存在がアルゴリズム。形のとりかたがそのまま自己を規定するという。そのマシンが身を崩すとき、すなわち「主人公と会話しているスフィンクスマシン」に関しては死ぬことと同義に思えるのだけど、恐怖とかないのかな。各ユニットに記憶が蓄積されているということは、会話の内容もある程度は残っていて、また、ユニットの組み合わせによって現れる人格はもはや誤差になるような超人格的な構造があるんだろうか。想像がふくらむ。いずれにせよ、ユニットのかけらを取り戻しにきたときのスフィンクス・マシンにはきっと高度な自我ではなく、QUALIA3の敵のような、単純な思考しかなかったのかもしれないなあ。ぼくの部屋をたまにぷんぷん飛んでる虫はぼくがつくったのかもしれない。

◇『愛娘』
SF的奇譚。メカニズムがそれっぽくてこれぞSF。ただ、女性が老いて若返る過程が死と生をつないでいるのはなんとも、首のうしろがぞわぞわする。たしかに恋人が娘に、死からあらたな生へ、切れ目なく連続に変わられると(しかも記憶を保ったまま)、そりゃあ別れもする。宇宙でセックスするべからず。

◇『美食』
最後の台詞「脛かじりめ」は、本当に脛をかじっていたのかもしれず。味が精密に分かっても、のぞむ味を実現できない人間だからこそ、あの職でやっていけるのかもしれない。どんなたべものなのかわかったら、ショックだあれは。

◇『イルカの森』
雪風〈改〉にも冒頭が似ている話があったような。シチュエーションも似てる。けど、同乗者の性格だけが決定的にちがいああいう結末に。イルカのパロかわいいよパロでもフィアンセいるよパロおしあわせにパロ。イルカたちのいう、ヒトが過去を蓄積できなくなった理由は少なくとも現在も残留している(大気中か、その時代の人間たちか)ことがわかって、イルカたちはいろいろ得るものがあったのだろうなあ。文化も聞けたしね。せめて、ビーバーが飛ばせるほどの記憶はまだ残っていることを祈る。

◇『言葉使い師』
夜空に咲く黄色いバラ。言葉は受容した人間の脳に物理的な作用を及ぼす、というのがテーマかと思っていたけれどそれも含め言葉使い師の言葉であった。「作用を及ぼし」云々はきっと言葉使い師の意図であり増殖した言葉のつくった観念なんだろう。与えられた大枠にそれがあったかどうか、だけれど言葉の魅力かつ危険な因子はそこに依らない、ということなんだろうか。もう一度読むとあらたななにかがつかめそうだ。

◇『甘やかな月の錆』
クラークの『都市と星』を思い起こす世界だけれどすこし違う。SORを使うことで不死性がうすれ、それとともにまやかしの記憶がはがれ落ちる。母親と子供、という状況での親への愛情が、不死性のうすれと成長で真の愛に変わっていく。そして、不死ではない人、いずれ死ぬ人、死人として母親(育ての)を探しつづける主人公ほんとうに胸アツ。育ての父のジョイの穴掘りもアツいエピソードだ。最後に彼のみたもの、鏡のようなものっていったい何だったんだろう。タイトルから、月そのものだったのではとか、月ではなくとも浮かんでいるのではとか、憶測が楽しい。そしてもどかしい。そうしたなかで最後、都市のシステムに捕まりまた不死の輪に組み込まれてしまっても、かすかにのこる記憶を宿しながら暮らしていく。なんて悲しくて幸せな話だろうか。不死の輪にまたとりこまれたということは、お互い離ればなれになる選択をする可能性があるということで、幸せだけどもそれもつかの間かもしれない。つらい。


最初に書いたけど、シリーズではなく、シリーズとは違う、そして神林長平らしい作品をはじめて読んだ。いままで以上にすきになった。言葉というテーマがとくに。


.ps
読み返してないからひどい文章になってるかもしれないなあ。
それでは、ねよう。