馬の頭の走り書き

書いているケモノ小説(BL含む)のこと。あるいは、たまに読書日記とかプログラミングとか。

牧野修『MOUSE』

 ひとづてにオススメされた本ではあるものの、読後は自分で辿り着きたかったという思いが強い。背面のあらすじで確実に手に取っていただろうことがわかるのだからなおさら。

あらまし

 ネバーランドは子供たちの楽園である。そこにはドラッグをブレンドして体内に直接流し込める機械カクテル・ボードを身に付け幻覚の世界に身を置きながら、体を売って生活をする子供たちが住む。十八歳になると出ていかなくてはならない定めをもつ彼等は自らを実験動物に見立てて「マウス」と呼ぶ。ドラッグによって感覚が互いに溶けあう子供たちは、主観を言葉にのせて客観に作用させ、客観すなわち現実をも変容させる。そんなネバーランドを舞台にした五つの短編集。

感想

 なんと素晴らしい短編集か。それは、文章も物語も、どちらの意味においても。
 幻覚剤の力で、共感覚なんて生易しいものではないくらいに感覚が混ざりあい、声が見え、においが肌を撫で、光景を聞く、だなんて。そんなサイケデリックなアイデアを軸に、言葉で主観を繋ぎ、現実に手を入れ、五つの物語が繰り広げられる。グロテスクでシュールレアリスティックな言葉遣いが、その溶けあう客観と主観を鋭く描写してる。こんな話、見たことも聞いたことも嗅いだこともない。

 世界設定が退廃的で、それがまた心にあとをひく。
 地震で崩壊した埋立地。ドラッグを流し込むカクテル・ボード(「カクテル」なんてネーミングが素敵だ)。さまざまな名前のドラッグたち。言葉で現実を、つまり相手を支配すること。心を上書きする法で、大人にならぬ印刷屋。幻影を飛ばすゲーム。外の世界の、妙に慇懃な謎の男たち。密教のシステムに、霊媒師。    『II ドッグ・デイ』のスエヒロと、『IV モダン・ラヴァーズ』に出てくるピクルスは好きなキャラクターだった。前者は眠りを追う姿が、後者は見た目に不釣り合いな冷静さが、かわいらしくて愛おしい。シーンでいえば『III ラジオ・スタア』のバッド・トリップする乱交シーンは非常に好き。この文章はものにしたいと思った。

 『V ボーイズ・ライフ』でそれまでの短編を一挙に引き受け、ネバーランドを襲う危機を経て、ネバーランドのお話はひとまずお終いとなる。

 この本は、退廃的ながら独特のめくるめく楽しさ、残酷さ、切なさが中にあって、閉じるのが本当に惜しかった。
 もっとこのネバーランドのお話を、と考えているあたり、既に『MOUSE』ジャンキーだな、と感じた。