馬の頭の走り書き

書いているケモノ小説(BL含む)のこと。あるいは、たまに読書日記とかプログラミングとか。

北野勇作『かめくん』『カメリ』

「絶対好きだって! 読めよ、ほんと読めよ!」
と、北野勇作作品をずっとオススメされ続けてたんだけど、やっとこさ手にした。もっと早くに読めばよかった。

『かめくん』あらまし

 かめくんは模造亀(レプリカメ)。万国博覧会場近くの倉庫で、特殊なフォークリフトで特殊な作業をして働いている。住んでいるアパートや、新しい職場や、大好きな図書館や、商店街やなんかを歩きながら、今日もかめくんは考える。身のまわりで起こる、ちょっとふしぎなできごとのこと。ミワコさんのこと。甲羅の中と外のこと。木星で起こっているという、戦争のこと。
 ときどき甲羅から滲み出してくる思い出や、知らないはずなのに体が覚えていることなどは、いったい何を意味するのだろう。そんなかめくんのハートフル・すこし・ふしぎストーリー。

『カメリ』あらまし

 カメリは模造亀(レプリカメ)。ヒトがいなくなった世界のカフェで働いている。ヌートリアンのアンといっしょに、石頭のマスターのカフェで。真っ赤なリボンを頭につけて、ヒトデナシに出す泥饅頭をこねながら、ヒトデナシたちを喜ばせるには、と考える。ケーキ、エスカルゴ、カヌレ。買い物カゴを持ってオタマ運河のほとりをカメリが歩く。
 変わってしまった世界の中で巻き起こる、レプリカメ・カメリのハートウォーミング・すこし・ふしぎストーリー。

感想

 すごくいいよ、かめくん。
 ありがとう、カメリ。

……だけだと寂しすぎるので、もっと何か書こう。

 『かめくん』『カメリ』どちらもSFである。
 やさしい語り口や、お話の運びの醸し出す雰囲気がまったくそれを感じさせない。端々に背景の世界がどうなっているかを想像させる理系ちっくな言葉こそあるものの──わかる人にはSF的なあれやこれやを想起させる──それは知らなくてもさらりと飲み込んでしまえるようなやわらかさ。
 日常もののようで、『ぼのぼの』にも通ずるところのある、のんびりとしたできごとが続く。
 かめくんが猫を飼う。かめくんがテレビに出る。かめくんが映画を観る。かめくんが温泉に入る。
 あるいは、カメリが卵を産む。カメリが商店街で福引をやる。カメリがテレビに出る(そういえば、カメリもだ!)。カメリがクリスマスを満喫する。
 これは癒しである。
 SFという名の癒しである。
 それぞれ、近未来、遠未来と舞台は異なるけど、共通するのはレプリカメたちの一風変わったものの見方からくるどこかずれた世界像。だけどこれがけっこう本質を突いていたりもする。そこに、カメ愛と、日常のちょっとしたできごとが加わって、それと著者の絶妙な言葉使いやネーミングが合わさって、このなんとも表しがたい独特の読後感を残すのだ。
 正直なところ、『カメ・イン』とか、かめくんがテレビに出てスポンサーの商品名を叫ぶところなんかは電車で噴き出してしまったレベルである。『カエルみたいにヌレッとしている』とか。

 それにしても、感想を書くのがなかなか難しい本もあるものだ。
 悪い意味ではなしに、心の中に「かめくんかめくん」「カメリいいよカメリ」という気持ちを引き起こす要因になるものが、文章のレベルから物語のレベルまで、たった一単語から、おおきなひとつの段落、章全体、本全体まで、様々なレベルに分散して宿っていて、すぱっと一言、一文で言い表すのが困難なんだと思う。
 それだけ細やかな気づかいをもって書かれている。独特のリズムがあって、小気味のよさがある。文章のリズムや言葉の選び方がおもしろくておかしい。お笑いのような、落語のような、押して押して笑わせる部分もある。「ごうか・きばこいり・かめかめこうきゅうじきねっくれすうううう!」のような。そういえば北野さん、関西の人だった。さらにそういえば、創作落語も書かれているのだった。
 うーむ、もはや計り知れない気づかいその他いろんなものがこもっている。
 がんばってまとめてしまうと、言葉にできないこの読んでるとき・読後の気持ちは、

このツイートに言われるように、読んだときに言葉と登場人物が踊り出す感覚、なのかもしれない。

 お江戸でハナシをノベルがあったら、また行きたい。


 カメリ、ツリーのポーズ。