馬の頭の走り書き

書いているケモノ小説(BL含む)のこと。あるいは、たまに読書日記とかプログラミングとか。

なんとびっくりケツァール!(キヌバネドリ科)

『ドクター・ラット』(ウィリアム・コッツウィンクル著)を読んだ。

世界中で発生する、謎の衝動に駆り立てられる動物たちの顛末。あるいはある研究室でその秩序を取り戻そうとする一匹の気狂いラットの奮闘記。


最初の数ページを読んだあたりでこんなことをつぶやいているけど、だいたいはこの雰囲気であってる。動物実験の痛ましさと食用家畜の最期などが描かれるため、ご飯前後は読まないほうがいいかもしれない。

世界中の動物たちが一斉に、本能が何かをさせようとするのを感じ始める中で、ドクター・ラットだけはそれを感じない。ドクター・ラットはいろんな実験に晒されて気が狂い、彼の知る人間達(研究室の教授、学生)のように考え振る舞っているからだ。だから、本能に突き動かされて飼い主の元を離れたイヌが研究室に捕らわれてきて、「直感による放送」により研究室の秩序を乱すことを快く思わない。その影響を受けた実験動物たちが「直感放送」を用いて外の動物たちの情報を仕入れ、“偉大な研究”に反目する思想に染まることを快く思わない。

曰く、我々は人間の好奇心を満たすために存在するのだ。
曰く。
──死は解放なり。

なんて言ってるドクター・ラットが実験動物達の反逆を止めるためにがんばる。

彼は人間をだいぶ勘違いしており、論文は不明瞭に書かねばならぬと考えている。また、意見等は三枚綴りの複写紙に書き、広報課を通さねばならぬと考えている。なかなかグロテスクなシーンが続く中にあって、ドクター・ラットはそれらをコミカルに緩衝してくれる。それでもグロいけど。


研究室の反逆者たちは実験の被害者である。だからドクター・ラットのパートは動物愛護なお話だ、とは単純に言えないような気がする。

なぜなら、反逆者たちのやり口がまあなんともダメなもの。おクスリで手なずけたり上層部がヤりたい放題だったり言論統制だったりといろいろやっている。人間の支配下にあったが故なのか、中途半端に人間ふうなのである。

ドクター・ラットだってそもそもは被害者だし、彼自身が実験をしたわけじゃない。ヘンなことを言っているだけで、何もしてない。
だから、ラストでドクター・ラットだけが取り残されてしまうのは、ちょっと寂しい気がする。

つらい。